カスケード 牡 青鹿毛 93/??/?? [美浦] 榊原康夫
血統
父 サンデーサイデンス(サンデーサイレンス)
母 ヒロポン 母父 ダンキチ(Danzig)
馬主 本多平七郎
生産者 本田リッチファーム
戦績 9戦7勝(中央:7戦6勝 海外:2戦1勝)
主な勝ち鞍 朝日杯3歳S、皐月賞、NHKマイルC、東京優駿
日付 |
開催 |
R |
レース名 |
頭数 |
枠番 |
馬番 |
単勝 |
人気 |
着順 |
騎手 |
斤量 |
距離 |
馬場 |
タイム |
着差 |
通過 |
上がり |
馬体重 |
勝ち馬 |
1996/12/22 |
中山 |
9 |
有馬記念(G1) |
15 |
6 |
11 |
3.5 |
2 |
6 |
服部政人 |
55 |
芝2500 |
|
48?(+2) | ミドリマキバオー | ||||
1996/10/06 |
ロンシャン(仏) |
|
凱旋門賞(G1) |
18 |
|
4 |
|
3 |
6 |
服部政人 |
56 |
芝2400 |
|
エルサレム | |||||
1996/09/15 |
ロンシャン(仏) |
|
ニエル賞(G2) |
|
|
6 |
|
|
1 |
服部政人 |
58 |
芝2400 |
|
(カントナ) | |||||
1996/06/02 |
東京 |
9 |
東京優駿(G1) |
18 |
2 |
3 |
1.6 |
1 |
1(同着) |
服部政人 |
57 |
芝2400 |
|
0.0 | (+4) | ミドリマキバオー | |||
1996/05/12 |
東京 |
11 |
NHKマイルC(G1) |
18 |
4 |
8 |
|
1 |
1 |
服部政人 |
57 |
芝1600 |
重 |
(+20) | (ニトロニクス) | ||||
1996/04/14 |
中山 |
10 |
皐月賞(G1) |
18 |
2 |
4 |
|
2 |
1 |
服部政人 |
57 |
芝2000 |
|
0.0 | (-20) | (ミドリマキバオー) | |||
1995/12/10 |
中山 |
11 |
朝日杯3歳S(G1) |
12 |
2 |
2 |
2.2 |
2 |
1 |
服部政人 |
54 |
芝1600 |
|
1.32.8 | 35.8 | (アマゴワクチン) | |||
1995/11/05 |
京都 |
6 |
3歳500万下 |
|
|
6 |
|
|
1 |
服部政人 |
53 |
芝1800 |
|
1.50.8 | (デイブレイク) | ||||
1995/10/29 |
東京 |
3 |
3歳新馬 |
|
|
6 |
1.1 |
1 |
1 |
服部政人 |
53 |
芝1800 |
|
1.49.9 | (タマブラン) |
マキバオーの母ミドリコのライバルだったヒロポンの仔として初登場(1巻)
以降マキバオーの最強のライバルとして激闘を繰り広げることになる。
マキバオーら強敵相手に互いを高めあい、日本ダービー(東京優駿)ではダービー史上に残る走りを見せるが、マリー病を患い有馬記念後に引退、種牡馬になった。
海外制覇の夢、この馬の伝説はミドリマキバオーに引き継がれることとなる。
一見天才肌に見えるが、旧2歳の初めから調教、デビュー前は古馬相手に調教やマッチレース、新馬戦と連闘の500万下では東京2400m、京都3000mを走り仮想クラシックのトレーニング、
さらに朝日杯と皐月賞の間にはドバイ遠征とまさに血と汗で作られた馬だった。
それに耐えたのは悲運の最強牝馬ヒロポンの血を引く唯一の馬としての責任と宿命を背負っていたからである。
ちなみに世界10傑の1頭でもある。
わかっている他の世界10傑はエルサレム(UAE)、ダークアベンジャー(英)、クリスマスワーム(英)、ストーンド(仏)、ジョシ(仏)、ヤンキードゥードル(米)カントナ(仏)の8頭で、残り2頭はわからないままだった。